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「インディアン」という差別語について

どうもこの件が話題になっているようなので、
「インディアン」という言葉について少し書こうと思います。

まず差別語を使用するかしないという論議をする時に
・「その言葉そのものを使用するか否か」
・「そこから派生してできた言葉はどうなのか」
・「同意語として作られた代替語の適切性と効果、意味」
・「過去のものを復刊する際はどうするのか」
という4つの問題をいっしょくたに話すと全く話の論点がずれます。

評論家が評論しあうならいいですが、
1つ1つ明確に結論を出していかなければ本なんて作れないです。

まず「インディアン」という言葉が差別語としてアメリカで意見が高まったのは
1980年代、political correctnessという市民運動がもとだと言われています。
イギリスは1990年代。

日本では差別用語の元となっているのはマスコミの「放送禁止用語」で
アメリカのマスメディアにも放送倫理規定なるものはありますが、
これはどちらかという差別用語よりも猥雑な表現の規制に重きを置いているように見えます。

そしてアメリカでは「インディアン」という言葉に対する反応は地域によって
とっても差があります。
例えば、日本人がツアーで旅行に行って自由行動の際に、ツアコンが
「この地域では間違ってもインディアンという言葉を使わないでくださいね」
と注意される地域があります。


ある博物館に入ろうとして受付で
「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら
入場を断られたという話もあります。

公立の学校で「インディアンは差別用語だと習いました」
と言っている人もいるし

在米日本人同士の会話で「インディアン」という言葉を安易に使った時に
「その言葉は『極めて貧しい』という意味が込められているから使わない方がいいよ」
と別な人が助言してるのも私は見たことがあります。
(多分その地域ではそう使われているのでしょう)

「インディアンというとインド人という意味だとして使っている」
という地域もあるようです。

カナダの「インディアン」と呼ばれた人たちはその呼称を大変嫌っていて
「ファースト・ネーションズ」と自らを呼んでいるそうです。

じゃあ、当事者の「インディアン」と呼ばれた人たちはどうでしょうか?というと…。
「インディアンとは呼ばれたくない。ちゃんと『族称』で呼ばれたい」
という意見もあれば
「アメリカ・インディアンという言葉に誇りを持っている」という人たちもいます。

差別用語を使うな、と言うと当然差別される側の意見に目が向きますが
実は差別してきた側も、その歴史に触れられることが苦痛だという側面もあります。
アメリカで、差別されている当事者よりも白人がその言葉にアレルギーを示すのは
その黒歴史を突きつけられるようでツライからじゃないかと、思ったりもします。


つまり…
「インディアン」という言葉はアメリカの歴史の凄くデリケートな問題だということです。
上に揚げたことについて、私はほとんどネットで目にしているだけなので
絶対本当か!と言われればなんとも言えません。

でもこの状況を見るだけで、その差別を実感として理解できない
異国の日本人が使うべきではない、
と個人的には思います。
ましてや、人を楽しませようと思っている娯楽小説!
なんでわざわざそんなリスク(人を傷つける)を冒す必要があるのか…。

なんで日本人がアメリカの真似をするのか!という意見も目にしますが
それはこれが元々、主にアメリカの問題だからです。
アメリカにとってデリケートな問題を
その問題を良く理解できない日本人が
広く人の目にする本にするべきでしょうか?

ところで、著者の方がよく言われるのは「歴史のリアリティ」です。
「インディアン」について私はいつも思うのですが
「リアリティ」というならば、その当時、その地域に本当にインディアンがいたのか
いたのであれば、実際にその地域に住んでいた部族の族称で書けばいいじゃないか、
ということです。
「アパッチ族」とか「いあいあ族」とか…。

今回、「インディアン」という言葉を「先住民」に変えたことが
問題になっていますが、
元々「先住民」は著者自身が「地」の文で使っている言葉でした。
元原稿では地の文で「先住民」が1回、会話で「インディアン」が1回。
同じものを違った表現で書くのは混乱のもとですし
著者自身「差別語」と認識して地の文では使わないというなら
会話でも統一したらどうかとご提案しました。

それでは「歴史のリアリティが損なわれる」とおっしゃるのを
曲げてお願いしました。
「歴史のリアリティ」を追求するのか、
「差別語の使用を避けるのか」
それはそれぞれのポリシーだと思います。
本来は、先生が「じゃあ、出したくない」と言ってしまえば済むところを
他のアンソロジーの先生方に気を遣ってくださって
ご了承くださいました。
本当にありがたく思っています。

ただ作品を創り出すのは先生方ですが発行に責任を負っているのは出版社です。
うちは会社の方針で、差別問題をテーマとした書籍を何冊か刊行しており
差別用語にはすこぶる社長がうるさいです^^;
私が見落として、たまに気まぐれでする社長のゲラチェックにひっかると
えっらい怒られます。

最後に
「差別する」時、ほとんどの人はその自覚がないと思います。
だから「気をつける」のも難しい。
大切なのは1つ1つ良く考えるしかないとは思うんですけどね。


―追記―
後半に社長の話を書いたら「責任転嫁」と思われた方がいたようですが
もっと転嫁すると
「NGワード」というのは大手の出版社では厳密に決まっていて
この手の読み物では担当レベルの意見をする余地がありません。
「NGワード」とされているものは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」。
復刊や歴史に関するもの、また派生語については会社によって対応も様々なようですが。
ただ、水際は現場の編集なので、校正チェックから漏れたものが
世に出ているものもあるでしょう。
うちは大手ではありませんが、同じように
「理由の如何に拘らず使用不可」と返事が社長よりきます。

でも、「理由の如何に拘らず使用不可」とする理由を聞いた時は
「なるほど」と思いました。
もちろん「抗議」を怖がってではありません。
「抗議」を気にするなら、もっとその「差別語」個々に対応の違いが出てきます。
「理由の如何に拘らず使用不可」とする方がよっぽど抗議の対象になるでしょうし。
それはまた何か別の機会に。
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BIAさんへ

すいません、同じコメントが連続してあるように見えたので
1つ残して削除しようとしたら、コメントが消えてしまいましたので
以下に再掲します。

********************
米国内務省には、BIA(The Bureau of Indian Affairs ~ インディアン事務局)という役所がありますが。

また、2004年には 国立アメリカ・インディアン博物館(英名:National Museum of the American Indian)が開館していますが、名称は問題にされていません。
********************

こちらも知っています。
国立アメリカ・インディアン博物館については問題にされていないのではなく、
設立された時に「American Indian」という名称が最もふさわしいと
論議された結果、設立されたと聞いています。
「差別語」が1つでもなくなるといいと思っています。
「インディアン」という言葉が未来の中で
誰が聞いても「差別語」ではない、と思える日が来るといいですね。

Re: No title

ごめんなさい。
『高野聖』を読んでいないので、コメントできないです。
ただ、これ復刊ですよね?
差別語をそのまま使用するにあたって
復刊と書下ろしでは全く意味が違うと思っています。
それと、「差別語」を用いるのと「差別的表現」を用いるのとも
全く違った問題だと思っています。

新刊における「差別語」の使用は、大手の出版社みなほぼ同様ですが
理由如何にかかわらずNGです。

差別語ではなく、差別表現に関する書籍を出すにあたって気をつけないといけないことは
文学作品として世に出す価値と同時に
その差別を撤廃しようとする動きの邪魔にならないか、
という2点です。
それを人種差別も性差別も身体障害者への差別も
「差別」と一括りにしては本質がぶれてしまいます。

「インディアン」というのは「差別語」としての問題ですが
日本では起こった差別問題ではないので
同じ差別語でも他の差別語とは質が違うと思っています。

誤字です

誤:アメリカでは「インディアン」とうい言葉
正:アメリカでは「インディアン」という言葉

誤:入場を断れたという話もあります。
正:入場を断られたという話もあります。

誤:社長のゲラチャックにひっかると
正:社長のゲラチェックにひっかると

Re: 誤字です

ご指摘ありがとうございます。

No title

過去に「インディアン」が差別的に用いられたとしてもそれを克服し自称として「インディアン」を名乗り始めた経緯を考えれば、差別だからと言ってその言葉を封印するのは言葉狩りでありまた差別の事実を隠蔽することになると思います。
まして差別した側が勝手に使っておいていまさら苦痛だから使わないなどというのはタダのわがままでしょう。

Re: No title

>自称として「インディアン」を名乗り始めた

これが全てに言えることならばおっしゃる通りで、その言葉を封印する必要はないと思います。
「全て」というのはもちろん厳密に全てという意味ではなく、
多分そうなれば、自然と封印されることもなくなるんじゃないかとも思うのですが。
とにかく良い方向に向かっているのだろうとは思います。


> いまさら苦痛だから使わないなどというのはタダのわがままでしょう。

これも客観的にはおっしゃる通りだと思います。
国際世論としてわがままだと批判することも意味があると思います。
でも裁く立場ではないので、その苦痛をあえて受けるべき…とまでは
外国人として言い過ぎかと、個人的には思います。
方向性が正しいかどうかは別として、彼らなりに賠償の道を歩んでいるわけですから。
償おうしている人たちにさらに苦しめというのは、やっぱり私は気の毒と思ってしまいます。
このページを見た時、スピーチしている人も辛かっただろうと思ってしまいました。
http://wol.jw.org/id/wol/d/r7/lp-j/102001813

でもそこまでおっしゃる方がいても、理解はできます。
あなたが「そこまで言ってないよ」ということでしたら
お許しください。

No title

みなさんへ。

編集さんは社長の意を汲んで決断を下したとおっしゃっているので、編集さんを責めるのは間違いです。
個々で述べられた持論と山本さんの持論をまとめてプリントアウトして酒井武史氏本人のご自宅に郵送して問い合わせるのが筋でしょう。
酒井武史さんの住所は法人の登記を数百円支払って問い合わせれば入手できます。

Re: No title

お心遣いありがとうございます。
凄く嬉しいです。

でも、責められているのかも…しれませんが、
上にいただいているようなコメントなら、大歓迎です!
きちんと書いてあることを読んで、反論してくださっているので
本当にありがたいと思っています。

このブログは私個人の意見を書いていますが
=仕事に反映させようとも思っていません。
というか、私の考え、変わっている自覚もありますから。 笑
奇麗事のようですが、本当に会社の方針、読者のニーズ、著者の考え
この3つが最も重要だと思って仕事はしてます。

もちろん弊社社長へご意見されたい方はどうぞ。


最後に
かばってくださって本当にありがとうございました。

結局、「インディアナポリス」はどうなるんですか?

>ある博物館に入ろうとして受付で
>「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら
>入場を断られたという話もあります。

 アメリカには「The National Museum of the American Indian」という博物館があるのだが、ここで「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら入場を断られるのだろうか?
 つーか、「インディアンについての展示がありますか?」と訊ねただけで入場を断る博物館なんて本当にあるのか?
 ちなみに、あなたの情報源は何かというと、

>上に揚げたことについて、私はほとんどネットで目にしているだけなので
>絶対本当か!と言われればなんとも言えません。

 ほとんどネットの噂かよ!?(笑)。
 さらにこうも書いている。

>「NGワード」というのは大手の出版社では厳密に決まっていて
>この手の読み物では担当レベルの意見をする余地がありません。
>「NGワード」とされているものは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」。

 本当だろうか?
 試しに、AMAZONでざっと検索してみた。日本では過去10年間にこんな本が出ている。
『アメリカ・インディアン法研究〈1〉』(北樹出版・2012)、『インディアン・スピリット』(めるくまーる・2011)、『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(小学館・2010)、『写真でみるアメリカ・インディアンの世界』(あすなろ書房・2007)、『インディアンは笑う―あなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク!』(マーブルトロン・2007)、『太ったインディアンの警告』(日本放送出版協会・2006)、『オールド・マン・ハットの息子―あるナバホ・インディアンの回想』(新思索社・2006)、『ネイティブ・アメリカンの世界―歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン』(古今書院・2006)、『アメリカン・インディアンの歌』(松柏社・2005年)、『コヨーテ老人とともに―アメリカインディアンの旅物語』(福音館書店・2005)、『アメリカ・インディアンの心もからだもきれいになる教え』(扶桑社・2005)、『インディアンカントリーへ』(ワールドフォトプレス・2004)、『ターコイズ―大地の贈り物インディアンジュエリー』(ワールドフォトプレス・2004)、『American Indian Potter』(講談社インターナショナル・2004)、『アメリカ・インディアンの知恵』(PHP研究所・2003)……。
 なんだ、小学館もNHKも講談社も「インディアン」って言葉使ってるじゃん!
 創土社ではどうだか知らないが、小学館やNHKでは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」なんかではないということだ。
 海外でも同様で、『American Indians and Popular Culture』(Praeger・2012)、『The North American Indian』(Taschen・2007)、『Real Indians: Portraits of Contemporary Native Americans and America's Tribal Colleges』(Melcher Media・2003)、『George Catlin's Souvenir of the North American Indians: A Facsimile of the Original Album』(Thomas Gilcrease Museum Assn・2003)などなど、「Indian」という単語をタイトルに使っている本はいくらでもヒットした。
 もちろん、これらの本に抗議があったなんて話はまったく聞かない。「“インディアン”という言葉を使ったら100%抗議が来る」というのは妄想だと断定してよかろう。

 さらに、僕がいちばん驚いたのはここ。

>ましてや、人を楽しませようと思っている娯楽小説!
>なんでわざわざそんなリスク(人を傷つける)を冒す必要があるのか…。

 ちょっと待てえええええええ!

 あんた、自分とこの会社がラヴクラフトについての本出してるって自覚あるのか!?
 ラヴクラフトの書いた「娯楽小説」にどんだけたくさんの差別的表現があるか分かってて言ってるのか?
 ラヴクラフトはファシストを自認する保守主義者であり、KKKの活動を賞賛していた。彼は中国人街を訪れた際の印象を、友人への書簡の中でこう書いている。(出典は『幻想文学』6号「特集・ラヴクラフト症候群」だったと思うんだけど、現物が書庫から出てこないので、『クトゥルフ・ハンドブック』からの孫引きで済まさせていただく)

 あの奈落に棲息している確かに有機体にはちがいないもの――あのイタリア・ユダヤ・モンゴルもどきども――は、いくら想像を逞しゅうしても、とても人類の名に価するとは思えません。ピテカントロプスとアミーバのぞっとする、ねっとりした混成物です。汚染した大地の吐き出す臭穢な泥土をいい加減に捏ね回したあげくの泥人形――奴らは、あるいは屍体に湧く蛆虫の蠢動するごとく、あるいは深海に棲息する気味悪い生き物のごとく、建物の窓や戸口から、悪臭ふんぷんたる路上へ沁みだし、湧きこぼれているのです。(後略)
(森茂太郎訳)

 そう、ラヴクラフトは人種差別主義者であり、イタリア人、中国人、ユダヤ人、黒人などに対する強烈な嫌悪を隠さなかった。そして、彼の作品にしばしば登場する、人間と異生物との混血というモチーフ(「インスマウスの影」「ダンウィッチの怪」「アーサー・ジャーミン卿の秘密」など)は、彼の異人種への嫌悪と表裏一体なのだ。
 これはべつに秘密でもなんでもなく、ラヴクラフトについてちょっとでも調べたことのある人間なら誰でも知っている事実である。そして、彼の考え方は当時のアメリカの白人にはよくあるものだった。
 ラヴクラフト作品を容認するということは、彼の生きていた時代の考え方を理解するということ、彼が抱いていた人種偏見に対して「今では許されないけど、この時代の人だからしかたがない」と許容することを意味する。
 僕もラヴクラフトの抱いていた人種偏見には嫌悪を覚えるけど、彼の生きた時代を考慮して、しかたがないことだと思っている。
 もちろん、現代で同じことを言う奴がいたら許さないけどね。

「インディアン」という言葉は偏見? そうかもしれない。でも、1940年代の人間がそういう言葉を使うことは許容しなくちゃ。
 昔の人間の偏見を許容できないということは、ラヴクラフトを許容できないってことになっちゃわないか? それも「クトゥルー・ミュトス・ファイルズ」なんて本を作ってる編集者が?
 そのへんの葛藤がまるで感じられないんだよなあ、この文章からは。

 あと、結局、「インディアナポリス」はどうなるんですか?(笑)

Re: 結局、「インディアナポリス」はどうなるんですか?

どの部分がどう質問なのか分かりにくいので、
お返事が十分にできないかもしれませんが、できる範囲でお答えします。

1、情報源はネットか
私がブログに書いた内容についてはそうです。
ただし、会社の方針がその情報源をもとに決められたわけではないし
ましてや私が決めたわけでもありません。
ネットで見たことについて、私が個人的に感想や考えを持つことに問題があるとは思えません。
ブログに書いた内容はほとんど個人の旅行記であったり、旅行がらみ質問掲示板だったりです。
それを読んで「ふーん!そんなこともあるのか!」って思うのっておかしいですか?


2、「出版社にNGワードがある」ということと、
他社から「インディアンの書籍が出ている」という事実を
関連づけてますが、どう関係してるのか分かりません。
 
出版社に限らずメディア全般、各社「NGワード」があり、
それについて一社員の意見を挟む余地はありません。
その「NGワード」に「インディアン」が入っているかどうかは、
各社に問合せたらいかがでしょうか?

ただし、上げられた書籍については、
ほとんど「インディアン」そのものを取り上げたものですね。
それと、「インディアン」ではなく「アメリカ・インディアン」との表記も多いですね。
「インディアン」という言葉も、
歴史に関する書籍や差別問題などをテーマにしたものに限り
その言葉を使わないと企画として成立しないのであれば、うちでも使用が許されます。
また、「アメリカ・インディアン」という言葉についてはどうなのかは
会社の方針を聞いたことはないですが、「インディアン」よりは許容範囲が広いような気がします。
なんにせよ、あなたがあげられた書籍はほとんが「インディアン」をテーマにしたもので
それぞれ、その言葉を使用する必然性と価値があるように見えます。
具体的には中身を見ないと分かりませんが、
今回のケースとはだいぶ質が違うと思います。

まだ、ブログ本文にも書いてますが、実際は水際の編集が見落としてしまえば
「NGワード」も世に出てしまいますので、絶対にないとは言い切れません。
もちろんタイトルで見落とすなんてことはないですが。


3、ラヴクラフトについて
ラヴクラフト自身が差別主義者なのも
過去に翻訳された作品にそういった言葉が多数出て来るのも知っています。
だから何をおっしゃりたいのか良く分かりません。
差別主義者だったということと、作品の素晴らしさは関係がないと思いますが。
それこそ差別思考ではないでしょうか?
ただ、個人的には大好きな作家にそんな一面があるのは寂しく思います。
でもそういう時代だったのだから仕方がないと思います。

過去にうちから出た書籍については、ラヴクラフト全集に限らず
現在は「NGワード」となっているものも多数含まれていると思います。
40年前の当時「NGワード」があったかどうかも分かりませんが
「NGワード」は日々見直し更新していくものですから、別に不思議ではありません。
もし今後弊社でラヴクラフト作品を翻訳して出版する場合は
「NGワード」の使用はできません。

今回の作品についても、書籍の性質上「NGワード」の対象外にはなりません。
それは
「昔の人間の偏見を許容できない」のではなく
単純に今生きている私たちは、特段の必要性がない限り
差別を連想させる言葉をできる限り使用しない、という会社の方針だからです。
「インディアン」という言葉についての取り扱いについては
アメリカの動向によっては、そう遠からず変わってくるような気はします。


4、「インディアナポリス」については地名ですから全く問題がないと思います。


だいたいこれで回答したと思います。
抜けている個所があったらごめんなさい。

今後コメントいただく場合は、もう少し短く書いていただけると助かります。

あと、あなたの「ひとり言」みたいな部分についてはスルーしてしまいましたが
なんてお返事したらいいのかよく分からなかったので、お許しください。
(あと、読み返す時間がなくて、誤字があったらごめんなさい)

コメントくださってありがとうございました。

No title

言葉狩りをしても、差別はなくならないし、弱まりもしません。

私にはあなたが1984の主人公のように見えます。ビッグブラザーはいないのに。

誰かが不快に感じる言葉を全て無くした世界、それは私にとって地獄です。あなたにとっては天国でも。

それに、差別に関する書籍ではNGワードを使用できるのであれば、「理由の如何によらず」ではないですね。強い言葉はあなたを弱く見ぜます。編集者として差別問題の矢面に立ちたくないという感情だけが伝わってきますよ。

Re: No title

坊丸さんへ

コメントありがとうございます。
ず坊丸さんの個人的なお考えとかご感想をを否定するつもりは一切ないので
私の書いた内容についてのコメントにのみお返事します。


> 誰かが不快に感じる言葉を全て無くした世界
「誰かが不快に感じる言葉」ではありません。
「差別がある・あった」と明らかに社会的に認められている事象で
またその時に「差別語」として使われた実績?のある「言葉」です。
事実がある限り、その言葉を見聞きして「傷つく人」もいるだろう。
だから、その言葉を特段の必要のない限り使用しない
です。
ただし、歴史がその傷を洗い流していくでしょうから
ずーっと未来永劫ではないと思います。


> それに、差別に関する書籍ではNGワードを使用できるのであれば、「理由の如何によらず」ではない

「この手の読み物においては」というただし書きがついてますので
そちらをご覧ください。

「言葉」を封印するのは簡単ですが、
未来を変えていくためには、過去と向き合って考えたり行動したりすことが
必要だと思います。
その「必要性」の中にその言葉の使用が含まれている、という考え方でしょうか。
そして、「その使用が未来を変えていくことに役立つかどうか」は
会社の方針の中で判断しているわけです。

ただ、確かにただし書きをつけても「理由の如何によらず」といのは
言葉の使い方として紛らわしいし、不適切だったと、これを書いている今思いました。
「この手の読み物」という言い方も分かりにくいですよね。ごめんなさい。



> 編集者として差別問題の矢面に立ちたくないという感情だけが伝わってきますよ。

そんなふうに思ってたらこんなブログ書いてませんよ。笑
私十分矢面に立ってませんか?

ただ、編集者として差別問題に取り組む気は確かに全くありません。
編集の仕事は本を作るとことであって
多種多様な差別問題を「差別問題」とざっくり括って個人で対応すれば
それこそ判断を誤ります。
だから、そういったことは会社として方針を定めているわけです。

坊丸さんの個人的なご感想はとても楽しく拝読しました。
「強い言葉はあなたを弱く見せます。」
って、不謹慎な言い方で申し訳ありませんが
ロマチックで素敵な言い方だなあと思いました。
きっと普段から素敵な文章を書かれる方なんでしょうね。

抹消

インディアンを“インジャン”と発声すると、『ジャップ』『ニガー』と同じレベルでアウトです。

しかし、これも劇中等で差別意識を持つ登場人物が発する場合は、作品に差別を助長する意図やその懸念がなければ、OKです。

日本でインディアンが差別語とされて使用できないなどと聞いたら、当のインディアンたちは『私たちの存在自体を認めないつもりなのか?!』と怒り、或いは悲しむでしょう。

今度、デニス・バンクスに訊ねておこう。

Re: 抹消

ブルードッグ様

お返事遅くなってごめんなさい。
「発音」でも意味合いが違ってくるのですね。
知りませんでした!
そういえば、その昔「トム・ソーヤの冒険」にそういう表記がありましたよね。

「インディアン」については日本はアメリカにならっているだけですが
アメリカでも本当に色々みたいですよね。
広いから仕方ないとはいえ…なんでこんなに「マダラ」になっちゃったのか。
ある意味、ますます混迷しているような気がしました。

No title

えーと、ちょっと出遅れてしまったので、一言だけ。
ブルーハーツの「青空」って歌を知ってますか?
けっこう良い歌なんで、ご存じでなければ、ぜひ一聴していただければと思うんですが、その「青空」の歌詞の中に
 ブラウン管の向こう側  カッコつけた騎兵隊が インディアンを撃ち倒した
というのがあります。
ブルーハーツというバンドは「パンクス」に分類していいと思うんですが、
こういうパンク的な、高尚ではなくともシンプルに青臭い衝動を歌った歌っていうのも、
けっこう世の中に需要があると思うんですよ。
つまり、何が言いたいかというと、あんまり各所に気を回し過ぎた作品って言うのは、
つまんないものにしかならないんじゃないかというコトで。
もちろん、編集という立場もあるでしょうし、結局はバランスの取り方の問題だとは思うんですが、今回のように、ターゲット層が、コアなファン、それもある程度の年齢のいった層が想定される本の場合では、「世間への配慮」と「時代考証などのマニア心をくすぐる仕掛け」のバランス…いったい、どうするのが正しかったのか。
僕としては、ここのコメ欄の反応から、ある程度の正解は導けるのではないかなーと、そんな感じの駄文で終わらせてもらいます。結局長文になっちゃった(^_^;)

Re: No title

コメントありがとうございます。
ブルーハーツはファン…まではいきませんでしたが、
好きな曲は何曲かありました。

「青空」は正直記憶にないのですが

>  ブラウン管の向こう側  カッコつけた騎兵隊が インディアンを撃ち倒した

これはとっても意味がある歌詞に見えました。
もちろん作詞した本人に聞いてみないと真実はわかりませんが
私にはそう見えます。
それを「高尚」というのか「青臭い衝動」というのかは分かりませんが
「差別」という歴史や意味を踏まえて、そこにメッセージを込めるなら
それはとっても大切なことだと思いますし、
そうであれば、このフレーズは他のフレーズには変え難いものだとも思います。
個人としてはそう思いますが、仕事に携わるとなると
そこは会社の方針が大前提になるのは事実です。
でも、うちの会社ならケースによっては通るような気がしないでもない。
↑と言う程度の推測です。

それはさておき
「バランス感覚」というのはおっしゃる通り凄く重要なことだと思います。
アチラを立てればコチラが立たず、どちらも正解でありどちらも正解ではない、
という問題は特にそうだと思います。
その一方で問題によっては「個人の感覚」で処理していいのか、という壁もつねに存在すると思います。


> 「世間への配慮」と「時代考証などのマニア心をくすぐる仕掛け」のバランス

これについて私の考えは…
まず、「そんなバランスとらなくてもいい他の選択はないのか」
です。
「誰かへの配慮なんて必要のない、時代考証などのマニア心をくすぐる仕掛け」
が一番じゃないでしょうか?
でもこう考えるのは得てして版元だけなんですよね。
著者はこの二つのキーワード以上に「表現の自由」というもう一つのキーワードが絡んできます。
本当はここで「何を表現したいのか」じっくり両者話し合えば、
もう少し打開策も見えると思うのですが…。

「言葉」は表現するための「道具」だと思います。
「表現の自由」って「どんな道具を使うかの自由」っていう上っ面な意味じゃないと思うので、
「作品全体で表現したい事」→「その中でこの章、段落、この一文で表現したいこと」
と考えて「道具」を考えた時
その道具がいくつもあることもあれば、1つしかないこともあると思います。
1つしかない時は「表現の自由」=「どんな道具をつかうかの自由」となるでしょう。
多分、「青空」について言えば、その道具は今使われている1つしかないのかもしれません。


そう言った両者の話し合いがきちんとできることが編集の腕前だとも思うので
自分が未熟であることは痛感します。
まあ、それだけじゃなくて、その他、諸々、本当に多種多様に未熟なんですけどね^^;

最後に…なぜ「NGワード」を定めるのか、
それを「世間への配慮」だと思っていらっしゃるようでしたら
それはうちの会社については誤解です。
強いていえば「一部の人への配慮」です。
うちは社長が代替わりしてからは、世間には全く関係ない学術本が中心でした。
なので、「経営者の理念」と言った方が近いと思います。


アメリカ・インディアンを差別語認定していることに対して、当のアメリカ・インディアンから抗議を受けたら、どのように対処するのですか?

Re: タイトルなし

> 当のアメリカ・インディアンから抗議を受けたら

別に回答は全く変わらないと思います。

ただ、その発想はとても非現実的だと思います。
多分日本に抗議に来る前に、アメリカの「political correctness」に行くなりするでしょうし、
NFLレッドスキンズの改名運動に抗議する方が先じゃないかと思います。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/mlb/news/CK2013110502000170.html

それとこのブログで言葉として取り上げているのは
「アメリカ・インディアン」ではなく「インディアン」ですので、お間違えのないように。
「アメリカ・インディアン」についての会社の方針は聞いてないので知りません。

No title

言葉について一切こだわりもなく
「抗議される可能性のある言葉は一切使わない」
なんて覚悟の人間が、編集者なんかやってんじゃねえって話だよ。

あと人への反論の根拠にネット上の噂を使うって何の冗談?
「インディアンって言ったら入館を断られた人がいる噂がネット上に流れてる」
ことが、言葉狩りをする根拠になるとでも思ってんのかね?

Re: No title

川島様

色々残念過ぎて細かくお返事するのがお気の毒になりました。
でもせっかく書いてくださったので、思った通りお返事します。

> 言葉について一切こだわりもなく

これはあなたの私見ですので、否定しません。


> 「抗議される可能性のある言葉は一切使わない」

これは私が言った言葉でもブログに書いてある内容でもないので
回答のしようがありません。


> なんて覚悟の人間が、編集者なんかやってんじゃねえって話だよ。

上記に根拠がないので、お返事する意味がありません。


> あと人への反論の根拠にネット上の噂を使うって何の冗談?

私は「誰」に対しても反論していません。
ですのでその根拠にもしていません。
あくまで私が自分の考えをもつにいたった根拠の1つです。
(いただいたコメントへは反論もしてますけれど。)


> 言葉狩りをする根拠になるとでも思ってんのかね?

あなたが「言葉狩り」をどういう意味で使っているのかさっぱり分からないので
なんともコメントのしようがありませんが、
ネットで見聞きしたこと、ニュース、個人のブログなどを見て
私が個人的にどんな考えを持とうと私の自由です。
私のネット上のブログを見て、何をお考えになろうとあなたの自由であるように。

川島様、私は議論は大歓迎ですが
前提となり(←正しいという意味ではなく議論の出発という意味で)
かつお互いが共有する情報、
この場合は私の書いた内容に照らし合わせて
コメントいただかないと、そもそも議論になりません。

あなたがコメントされた目的はなんでしょうか?

あなたはあなたで腹が立ったのなら、
それをもう少し理論的に、節度を持ってかかれれば
今すぐに同じ結論にいたらなくても、
将来的には私の考えが変わるきっかけになるかもしれません。

「覚悟」とか「言葉狩り」とか、そういう言葉を並べて
単に私を不快にしたいのであれば、それは時間の無駄です。
私はなんとも思わないので。

書くだけであなたの溜飲が少しでも下がるなら、
もしかしたらあなたにとっては一時的に意味があるのかもしれませんが、
長い目で見た時にはあなたにとっても良いこととは思えません。
せっかくコメントをくださったので、老婆心ながら書かせていただきました。

No title

ここまでのコメントを含めて著者様のご意見を拝読させていただきました。
正直な意見として、記事の文章からは著者様のスタンスが判りかねるのですが、
記事の論点を一言で言えば
「インディアンという言葉に関してはアメリカ国内における差別問題をはらんでいるから、それを理解していない我々日本人がつかうべき言葉ではない」
ということでよろしいのでしょうか。

Re: No title

> 「インディアンという言葉に関してはアメリカ国内における差別問題をはらんでいるから、それを理解していない我々日本人がつかうべき言葉ではない」


「日本人がつかうべき言葉ではない」
ではなく
「アメリカのスタンスに合わせるべきだ」
(差別の中身について言及する資格がない)

です。


けれど、アメリカのスタンス自体が私にはばらついているように見えます。
これについても、なんでばらついているのか、本当はどうなのかも
特化して研究しているわけでもないので、正しい判断ができるとも思ってません。

その時にどちらのスタンスを支持するかは、個人の自由であり会社の自由だと思います。
私個人は基本的に特段の必要がなり限り「使うべきではない」というスタンスです。
ですからもちろん著者の自由でもあります。
会社の方針と著者の方針が食い違った時は、話し合って妥協点を見出すか
物別れとなるかのどちらかしかないと思います。

読者を馬鹿にしていますね

>いたのであれば、実際にその地域に住んでいた部族の族称で書けばいいじゃないか、

全然関係のない揚げ足取りです。

その地域に住んでいた人はその族称で呼んでいたのですか?
なぜそれがリアリティになるのでしょう。

>ましてや、人を楽しませようと思っている娯楽小説!
>なんでわざわざそんなリスク(人を傷つける)を冒す必要があるのか…。

それはあなた方のリスクでしょう。
娯楽小説を買う人間とは関係ありません。

そもそもリスクが大きいことも示せていない。
ほぼ確実に来ない抗議がリスクですか?
それとも社長に怒られることがリスクですか?

先住民と言い換えればよいという態度で、
傷つく人が確実にいないというなら、
それはリスクでしょうけどね。

対して、リアリティがないいい加減な小説を売ることは、
読者が楽しめない原因になります。
少なくとも作家はそれに気を付けて書いているようですね。
それを邪魔することは、娯楽小説として許されるのでしょうか?

そんないい加減な気持ちで作ったものを売っているんですか?
買った人のことは何も考えてないんですか?

>「差別する」時、ほとんどの人はその自覚がないと思います。

全くその通りですね。
言葉さえ書き換えておけば差別にならない、
とかいう差別的なことを平気で書く人とかもいます。

本当に差別していなければ、
決してそういう発想にはならないと思いますけどね。

差別というのが言葉の問題でないのは明らかですし。

読者として不快であるのみならず、
あなたの差別的な態度は不快です。

山本弘さんのブログのお話でした

作中の1940年代の農夫が発する言葉が「先住民」であるほうが不自然であるとして、あえて「インディアン」という言葉を用いているのだと説明する山本さんに対し、「一人でも不快に思う人がいるのなら、その言葉を使うのは控えるべき」とするのが編集者の意見。
例えば、赤ちゃんが笑っても不妊症の女性は傷つくかもしれないし、一人も不快に思わない表現などないのになぁ、というのは、ブログを読んだ僕の意見。

山本さんはブログの中で次のように述べています。

「僕も差別には断固反対の立場だけど、歴史的に正しい用法で、しかも差別的意図を含まない表現まで規制しないで欲しい。何も考えずに、機械的な言葉の言い換えだけで済ますのは、単に厄介な問題から目を背けているだけ。それこそ差別だから」

まったくもってその通りです。
とても共感いたしします。

僕の場合、編集者から修正の依頼すらなく、雑誌が出来上がってみたらセリフが勝手に書き換えられていたり、そのことに抗議すると「クレームがあった場合に責任が取れるのか?」などと逆に怒られたりしていましたから、山本さんが羨ましいくらいです。

僕の連載中の作品「特攻の島」の中で、これから米艦インディアナポリスが登場する予定なのですが、クレームが来るか今から心配です(笑)

Re: 山本弘さんのブログのお話でした

「佐藤秀峰代筆」様

佐藤秀峰代先生のブログ記事のご紹介ありがとうございました。

ご本人様からの書きこみでしたらお返事しますが
どうもそうではないようなので、お礼の言葉に変えさせていただきます。

もし代筆を依頼されたということでしたら、その旨お知らせください。
再度私からもご本人に確認しまして、返信いたします。


まりも様

お返事遅れていてごめんなさい。
ちょっと取りこんでいます。
もう少しお待ちください。

No title

わざわざありがとうございます。

意見には憤慨しておりますが、
別に個人的にうらみがあるわけではないので、
時間のある時にゆっくり書いていただければよいです。

むしろ意見としてはしっかりまとめてから書いていただいたほうがよいのかもしれません。
はっきりとはわかりませんが、
その場しのぎの言訳的な発言が続くために話がややこしくなっているのではないか、
という気がしますので。

まだ返事が来ませんね

ひと月近くたちますね。
そろそろもう、返事を頂けないと思っていいかな。

今回の件についての私なりの解釈を書いておきます。
まあ返事を頂けないので情報は足りないわけで、誤解の可能性も高いですが。

世の中には、信念を持っている人と、そうでない人がいます。
そして互いに互いのことが、理解できないことが多いようです。

作家の人には、作品について信念を持っている人が多いでしょう。
差別と闘っている人も、信念をもっている人が多いでしょう。

信念を持っている人は、少なくともその信念に関連することについては、
信念を基づき、一言一言に責任をもって発言します。

発言の一つ一つはその場で考えたものではなく、
長年検証してきた理念に裏付けられています。
だから、その場の話の流れで簡単にひっこめるとかはあり得ません。

意見を絶対に変えないというわけではないですが、
意見を変えるにしても、明確な理由をもって変えることになります。
変えた理由は責任をもって説明することができますし、
変えた後の意見にも責任を持ち、簡単に元に戻したりはしません。


信念を持たない人の多くは、それを理解することができません。

信念を持たない人は、
言葉とは目の前の人間との会話をするためにあると思っているので、
その場の空気を読んでどんどん変えます。

そしてそれが思いやりだとか思っています。

そういう人の中にも自分は信念を持っていると自覚している人がいるようですが、
一言一言に責任を持ったりはしません。

そして、自分がそうしているのだから、
全ての人がそうだろうと思っていることが多いです。

なので、その場の思い付きで理屈を並べます。

一人でも嫌がる人がいたらやらないとか、
実際にやってみたことがあるなら実現不能なことがすぐわかることを言って、
通用すると思っていたりします。

会社のルールがそうだからとか。
社長に言われたからとか。

それで無責任だと言われたら、
いや本当は他に理由があるのだとか。
その理由を説明できなくても、特に不都合があるとは思わなかったりします。

信念を持っている人が言う理念も、
それと同じものだと思っているようです。

自分がそういう理屈を言って、
相手も同じようにしているのだから、
相手も適度に折れるのが筋だと思っても、不思議はないですね。
相手が折れないのを見てイラついたりします。

そして思い付きで並べた理屈が、
信念を持つ人からはどれだけいい加減だと思われるかということは、
理解していないようです。


相手のことを理解していないのは信念を持つ人も同じです。
長年培った信念に基づかずに意見を言う人がいるなんて想像もつかないので、
相手の性格がいい加減なのだとしか思えないことが多いです。

話は平行線となります。
まあ不幸ですね。


ただ。
いい加減にその場の思い付きを並べても、
信念を持つ人は絶対に折れないということは、覚えておいたほうがいいんじゃないでしょうかね。

思い付きの理屈を並べれば並べるほど、
相手に軽蔑されることになるだけですよ。

Re: まだ返事が来ませんね

まりも様

お返事書けなくてごめんなさい。
今日で一段落つく予定だったのですが、来週末まで伸びてしまいました。
とりあえず今はご飯食べて寝るのが精一杯で・・・ごめんなさい。

No title

すみません。

そろそろ返答が来ないと判断していいかと思いましたが、
まだ早すぎたようですね。

出版業界は大変そうですから、
そういうこともあるのですね。

こちらの意見は大体書いてしまいましたが、
批判している人はこんな感じに思っているのだと思いますよ。

差別を真剣に論じている人や、
作品を真剣に論じている作家の人は、
自分の発言の一つ一つに、一生責任を持つつもりで発言していると思います。

あなたも、一生忘れられないでいることを前提に、
意見をいただきたく思います。

とはいえ大変で倒れそうなところを無理に、
といっているわけではないですので。

無理にならない範囲で、
お仕事がんばってください。

すげえ腹立ちました

 やい、「山本弘代筆」などというハンドルを使った奴! こんなことをして僕が喜ぶとでも思ってんのか!
 言いたいことがあるなら自分の言葉で語れ! 他人の文章を盗むな!
 貴様には自分の脳ミソというものはないのか!?
 おまけに、ただコピペするだけじゃなく、僕の文章の「この編集者」を「あなた」に書き換えてるよな!?
 それは「改竄」と言って、ものすごく悪いことなんだぞ!

 はっきり言って、こんなモラルの麻痺した奴に味方してほしくねーわ!

No title

まりもさんはどうゆうモチベーションで批判屋をやっているのですか?
なにが目的なのですか?

一部コメントを削除しました

一部、こちらにコメントしてくださってる方への誹謗中傷と私が判断したものがあり
削除しました。
それに対するご本人の回答も削除しました。

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邪神の巫女

Author:邪神の巫女
クトゥルー様にお仕えしています。
クトゥルー様の教えを記した経典作りと宣教に日夜励んでいます。

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